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「東京マリーゴールド」と「一年ののち」

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先日、知り合いの編集者さんの企画の「わたわたフェス」で「東京マリーゴールド」上映とトークに参加しました。「東京マリーゴールド」は2001年公開、林真理子の「一年ののち」という小説を市川準監督が脚色した映画です。この映画を見るのは初めてでしたが、性別や年齢で受け取るものがかなり違うのではないか、また原作はどうなっているのかと興味がわいてきました。上演後のトークショーでは、原作には全く言及していなかったので、原作を買って読んでみました。(以下ネタバレありです。)

原作は40ページほどの短編です。映画のあとに原作を読んでみるということはときどきありますが、そんなには印象は変わらないことが多いです。が、「東京マリーゴールド」と「一年ののち」は、筋はほぼ同じですが、印象がかなりちがいました。

エリコとタムラは、タムラに一年の留学中の恋人がいながら、帰ってくるまでの1年の約束でつきあい始める。その一年が終わりに近づいた頃。エリコはタムラに恋人と別れてほしいと懇願するが、あいまいな態度のタムラと別れを決心する。別れたあとに、偶然バスの中でタムラの恋人が帰国中にでくわす。彼女の友人との会話から、もうとっくに別れていて、別の人と結婚している。タムラはうそをついていたのだと知るというのが映画の筋。

映画では、エリコは普通に東京に住む女の子、東京の一部分をきりとったように淡々と流れていくという感じですが、小説では、エリコは地方出身で東京で働くキャリアウーマン、都会のキラキラした硬質な場面を描かれているような気がします。そして、タムラのうそは、別れたあとではなく、約束の1年が近づいてはいるが、別れる前にエリコは、タムラの同僚から知ることになります。『「私は本当に彼を愛していたんだろうか」いっぺんに魔法がとけたような気分になる』映画と小説の表現の違いはあるにせよ、小説のほうが直接的で残酷です。

そういえば、映画では1年の恋を、1年で終わってしまう花「マリーゴールド」に例えていますが、小説ではそういう記述は一切でてきません。女性より男性のほうがロマンチストなのかもしれません。


焚き火かいぎ焚き火かいぎ
今週の展示は「焚き火かいぎ」、立体・平面・パフォーマンスの8人展です。「焚き火かいぎ」とはアトリエの机にお菓子を広げてお茶をしながら話していたときの様子から名付けたそうです。その名のとおり、優しくて楽しい展示です。是非お越しください。23日まで。
(2018年10月20日)

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